この記事の結論

「もっと、もっと」と追い続けると、いつまでも満たされない。一方で、「これでいい」と思える自分なりの基準を持てると、心が安定し、満たされる。鍵は、他人の基準ではなく、自分にとっての「十分」を、自分で定義すること。「これでいい」は、成長を止めることではなく、満たされなさから自由になることだ。今あるものに目を向け、自分の基準で、自分を満たす。

この記事は、Lv.3(安定期)の一人社長に向けて書いています。が、全段階に通じる土台でもあります。

「もっと」は、満たされない

事業が安定してくると、ある不思議な感覚に気づくことがある。状況は良くなっているのに、なぜか満たされない。売上が増えても、「まだ足りない」。目標を達成しても、すぐ次の目標が欲しくなる。

これは、「もっと、もっと」という心の性質だ。常に上を見て、足りないものを探す。この心の動きは、向上心として、人を成長させる原動力にもなる。だが、同時に、永遠に満たされない苦しみの源にもなる。「もっと」を追い続ける限り、ゴールは、いつも少し先に逃げていく。どれだけ手に入れても、満たされない。安定期は、この「満たされなさ」と、向き合う時期でもある。

「これでいい」と思える基準を持つ

この満たされなさから自由になる鍵が、「これでいい」と思える基準を、自分で持つことだ。

「これだけあれば、自分は十分だ」「この状態なら、満足だ」という基準。これがあると、「もっと」の無限ループから降りられる。基準に達したら、「これでいい」と、自分を満たすことができる。

「これでいい」と思えることは、諦めでも、向上心の欠如でもない。むしろ、自分の人生を、他人や世間の「もっと」に振り回されず、自分の基準で生きる、という選択だ。安定期に、この「自分にとっての十分」を、定義してみる価値がある。

「他人の基準」でなく「自分の基準」で

満たされなさの大きな原因は、自分を、他人の基準で測ることだ。あの人はもっと稼いでいる、あの会社はもっと大きい。他人と比べる限り、上には上がいて、永遠に満たされない。

「これでいい」と思えるには、他人の基準を手放し、自分の基準で測る必要がある。自分にとって、何が十分なのか。どれだけあれば、自分は満足なのか。それは、他人がどうであるかとは、関係ない。自分の価値観、自分の望む暮らし、自分の大切なもの。これに照らして、「自分にとっての十分」を決める。他人の物差しを下ろし、自分の物差しで測る。これは、比較しない生き方とも、深くつながる。

「これでいい」は、成長を止めない

「これでいい」と言うと、「成長を諦めるのか」「現状維持でいいのか」と誤解されることがある。だが、そうではない。

「これでいい」は、今に満足することと、これから成長することを、両立させる。今の自分を「これでいい」と認めた上で、なお、やりたいから挑戦する、楽しいから工夫する。満たされない焦りからではなく、満たされた余裕から、前に進む。

満たされなさに追い立てられる成長と、満たされた状態からの成長は、質が違う。前者は苦しく、後者は健やかだ。「これでいい」と思えることは、成長を止めるのではなく、成長を、苦しいものから、楽しいものに変える。

「今あるもの」に目を向ける

「これでいい」と思える心を育てるには、習慣がいる。「もっと」を追う心は、足りないものに目を向ける。逆に、「これでいい」と思える心は、今あるものに目を向ける

すでに手に入れたもの、今ある幸せ、これまで積み上げてきたもの。これらに、意識して目を向ける。当たり前になっていることの中に、かつては望んでいたものが、たくさんある。今あるものに気づき、感謝する。この習慣が、満たされなさを、満たされた感覚へと、少しずつ変えていく。足りないものを数えるか、あるものを数えるか。その視点の違いが、心の状態を決める。

安定期の一人社長へ

事業が安定してくると、状況は良くなっているのに、満たされない、という感覚に出会う。「もっと、もっと」を追い続ける限り、ゴールは逃げ続け、永遠に満たされない。

「もっと」が満たされなさを生むと知り、自分にとっての「十分」を、自分で定義する。他人の基準でなく、自分の基準で測り、「これでいい」が成長を止めるものではないと知る。そして、今あるものに目を向ける習慣を持つ。「これでいい」と思える基準を持つことは、満たされなさから自由になり、自分の人生を、自分の基準で生きることだ。一人でやると決めた人にとって、これは、お金や規模を超えた、本当の豊かさの土台になる。